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記事2004年3月13日 1927号 (3面) 
新世紀拓く教育 (18) ―― 順心女子学園中学・高校
テーマ学習「人間社会学」の挑戦
いかに試練を乗り越えるか
 「深く深く考えさせられ、実際にあった話という重みを心の全体で感じました。この映画はもう見たくありません。でも、今日見てよかったと思います」。
 これはアウシュビッツ強制収容所の実態を描いた仏映画『夜と霧』(一九五五年製作)を見た順心女子学園中学校・高等学校(久保田武校長、東京・港区、女子校)中学二年生の感想文の一部である。そして映画上映はテーマ学習「人間社会学〜人はいかにして試練を乗り越えるのか」の授業の一つであった。
 同校は平成十三年四月、現・久保田校長が校長に就任。以来、カリキュラム改革や人数の多い一斉授業の廃止、四〜五人で行う少人数授業編成、習熟度別指導など学校改革に取り組んできた。その中から出てきた一つの挑戦が、社会科歴史を教える金子暁教諭のテーマ学習「人間社会学〜人はいかにして試練を乗り越えるか」である。『夜と霧』についても、金子教諭はその衝撃的な映像を多感な中学二年生に見せることに躊(ちゅう)躇(ちょ)しなかったわけではない。しかし、一年間、築き上げてきた生徒たちとの信頼関係から、「見せても大丈夫、感受性の強いこの時期だからこそ見せたい」と思ったのだという。上映前、生徒たちには、途中で見たくないと思ったら教室から出ていってもいい、と話したが、実際には一人も出ていく生徒はいなかった。
 テーマ学習「人間社会学〜人はいかにして試練を乗り越えるか」は、平成十四年度の三学期に中学二年生の社会科の授業として行われた。金子教諭は長年、今の日本の社会でいったい誰が・いつ・どこで子供たちに「倫理」を教えるのかと問い、「生きること」を考え抜くような授業をしたい、と思っていた。
 それが具体化するきっかけとなったのは、数年前、高校三年生をオウム真理教・地下鉄サリン事件の裁判の傍聴に連れて行き、証人として松本智津夫(麻原彰晃)被告が出廷、松本智津夫の証人喚問を知らなかった生徒たちの間に驚きが走ったことだった。地下鉄サリン事件当時、同校の最寄り駅である地下鉄広尾駅をサリンのまかれた電車が走ったという事実が、事件を生徒たちに実感させた。
 この裁判傍聴時のことが金子教諭の心に残り、やるべき授業の具体的な形が見えてきた。それが、学校と教科のバックアップで実現したテーマ学習「人間社会学〜人はいかにして試練を乗り越えるか」である。
 取り組みの前段階として「杉原千畝展」(平成十四年六月)や「アンネ・フランク展」(同年十月)を同校で開催。三学期に入っていよいよテーマ学習の七時間のカリキュラムが始まった。生徒たちはまず神谷美恵子さんの著書『生きがいについて』を読んだ。神谷さんは生涯、ハンセン病患者のために尽くした医師である。著書の一節には「少なくとも限界状況下にある人間は、もはや文化や教養や社会的な役割などの衣をまとった存在ではなく、何もかもはぎとられた素裸の『ひと』にすぎない」とあり「生きる」ということが深く問いかけられているこの著書で、生徒たちは限界状況の中で明るく生きる人、絶望する人、さまざまな生きかたを知る。
 続いて行われた授業は、教育資料センターで『ハンナのカバン』の著者である石岡史子さんの話を聞く「ホロコーストを知る」。次の授業が初めに紹介したアラン・レネ監督の仏映画『夜と霧』の鑑賞である。そして、フランクル著『夜と霧』を読んだ。次には、両手両足切断という障害を抱えながらたくましく生きた中村久子さんの生涯を知る。南部坂教会・渡邊牧師による講話「キリスト教における死――聖書を読む」を聴き、東京地方裁判所の裁判傍聴と裁判官からの話を聞く「犯罪という試練」授業が行われた。
 最後の授業は、末期患者の在宅医療に取り組む船戸内科外科クリニック(岐阜・養老町)院長・船戸崇史医師による百分間の授業「医療の現場から命の尊厳を考える」である。
 この授業で船戸医師は、健康とは何か、アレルギーについて、世界の医療の最先端分野での話のほか、学会での報告(末期医療における生きがいについて)も再現してくれた。末期患者への接し方についても「患者が欲しいのは温かな手」「死を見つめることは生を見つめること、そして素敵な生きかたをすれば素敵な最後を迎えられる」と生徒たちに語りかけた。
 この授業では、ノートを取らなくていい、眠くなったら寝てもいい、休憩がないのでトイレは自由、いつでも質問していい、という約束で始まったが、生徒たちは、船戸医師の話に最後まで真剣な目で聴き入った。
 授業が終わり、生徒たちは船戸先生へのお礼にと、二十九人の生徒全員が「星に願いを」を合唱した。これは同校の授業依頼を快く引き受けてくれたことへの感謝の気持ちだった。船戸医師はそれを非常に喜んで受け取ってくれた。
 テーマ学習「人間社会学〜人はいかにして試練を乗り越えるか」の七時間のすべての授業が終わり、最後に提出したレポートの中で、ある生徒は次のように書いた。
 「『死に方=生き方』と船戸先生は教えてくれました。死ぬまでの間を、どう生きるかが大切なのです。人はどのように試練を乗り越えるのか。それは自分が強く前向きに生き、まわりの支えを実感し、一日を大切に生きればいいのだと思います」。
 金子教諭は人間社会学のねらいについて「中学生が抱く漠然とした将来への不安や死に対する恐怖などと正面から向き合い、それらを乗り越えるサポートになればと思っています」。この実践はまだ始まったばかり。今後も中学二年生に対してテーマ学習を行うが、自分たちは社会と結びついて出来上がっているのだと実感できる講師に生徒たちを会わせたいと金子教諭は言う。


船戸医師の話に真剣に聴き入っている生徒たち

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